華耶のやる気なさげな日々

やる気の無い人の日々を適当に書き連ねる自己満足ブログ

努力の否定

私は「逃げるが勝ち」と豪語してきました。
嫌いな言葉を尋ねられれば「努力・根性」って答えます。
先日買って来た某漫画の某人物じゃないですけど、努力や根性で苦労しなくてもある程度上手く立ち回れれば上にいける、ってのを見せたいと言うような部分があったんですよね。
まぁその結果は…ねぇ…?
今の私を見れば一発でわかるでしょう。
まぁもっと上手くやれる人は上手くやれるんでしょうけど。
でも、ですね、私が逃げた事例って…大きな出来事…例えば受験とかならば逃げましたけど、普段の生活ではむしろ逃げずに突っ込んで玉砕する事の方が多いような気がします。
というより逃げたのってのは目立つところではなんだかんだで受験と勉強くらいかなぁ…実生活で逃げてる事はあまり無いような気がします。
んー…とまぁそんな事を考えていたんですけど。
「果たして私は本当に心の底から努力を否定しているのか?」
難しい問題です。
上記の通り嫌いな言葉を尋ねられれば「努力・根性」って答えるのは間違いないです。
確かにそう答えます。
んー…でも結局ある程度の努力はしなきゃならないし、実際に私も多少なりとも努力はしたと思います。
周りの人から見たらどうなのでしょうか?
やはり何も努力しないでのほほんとしてるように見えるのでしょうか?
どうなんだろうなぁ…。
んで、何でこんな事を考えていたのかと言うと。
先日父親が食事の席での会話の中で発した一言。
本人は別に悪気があって言ったわけではなく会話の流れからつい出てしまっただけ…だと思うのですが、今の私にはかなりきつい一言でした。
「俺は努力していない人間は嫌いだ」
別にその言葉は、その場では私に投げかけられた言葉ではなく、会社での仕事の話とかの流れでそうなったんだと思いますが。
昔…まだ高校生くらいの頃に父親に言われた事があります。
「お前が努力している姿は見えないし向上心も見えない」
多分言った本人はもう忘却の彼方でしょうけど。
その時は私は無視して黙ってて、心の底では「普段の私の生活なんか見ていない癖にあんたに私の何がわかる?この家庭環境で我慢して問題起こさないだけでもありがたいと思いやがれ」とか思ったりしたんですけど、確か。
今も父の中では私は努力なんぞ欠片もしていない人間だと思われているのでしょうか?
どうなんでしょうねぇ…。
とりあえず先日のその食事の席での発言の後、私が一言も喋らなかった事に親は果たして気付いていたのでしょうか?
母親は微妙に気付いたっぽかったですけど。
悪気はないとわかっていても落ちるんですよ、そういう話されると。
どうしてもやっぱ「早く働かなきゃ」と焦っているので、それを医師から止められてしまっている自分が不甲斐なく感じる部分もありますし、生活費全部面倒見てもらっている親にも負い目を感じているので。
なるべく考えないように、考えないように、って思ってる時にそういう話が出ると、ね…。
今の私の希望の光はこの秋までにはバイトが始められそうって事ですね。
社会復帰への第一歩ですよ。
それが延びたら私本気で死ぬかも。
んー…なんか話がまとまらなくなってきたので今日はこんな感じで。